下積生活

第二次恐慌

第一次恐慌は、宮前まちの整骨院開院5か月後のこと。

食費さえままなくなり、私は居ても立っても居られなくなり、生後5か月の娘を預けてまで即、職を見つけたのだった。

それから一旦少し落ち着いて、人並みの生活になりつつあるな、と感じていた所で今回のビオラ整骨院開院。

この度、たくさんのスタッフを迎え入れたり設備や工事などに多額の資金が掛かり、第二次恐慌に入りました。

inchoはこういうギリギリなのが好きみたいで焦るどころか目を輝かせて、寝る間も惜しみ働いている。成長する為には一旦落ち込むことも必要だとか? 私は少し慣れて来たのか、前回ほど焦りはなく、でもやはり不安はある。

これからはもう少し家業の手伝いに専念しようと思います。

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ちょっと変わってきた事

去年の今頃はちょうど、下積み生活の中でも最も氷河期時代だった。外食を極力しない、洋服も殆ど買わない生活は結婚以来ずっと続けて来たが、普通に買う食料品(特にオレンジジュースチョコ菓子などの嗜好品)まで制限するようになったことが、私にとって一番つらかった。

それが今春以降ころだろうか、少し変わり始めたのは。支払の波にもそれほど大きく影響されなくなってきた。

お陰で、私も正社員からパートに切り替え、子供たちと過ごす時間を増やすこともできるようになった。家のことをする時間も増やせた。

そして、家族で外出した際、「今日は遅くなったから、食べて帰ろうか」、とたまには外食することが出来る様になった。外出先でジュースや食べ物を購入出来るようになった。以前はどんなに疲れようと遅くなろうと、家で作って食べていたし、自販機ジュースも控えていたので、外出もそんなに出来なかった。

それでオモムロに気づいたのは、外出をすると、外食も増える、ということ。買うジュースの本数も増えるということ。以前制限していたからこそ、出来る様になったことに喜びと感謝の気持ちがある。 

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私の仕事について。

これまで、生活を支える為、3人の子供を産みながらもずっとフルタイムで働いてきた私。去年の今頃は整骨院開業半年後で、支払などがたまって家計はまたもやピンチの絶頂だった。第三子出産を期に以前の職場を辞めていたが、結局産後5か月で就職活動をして即、近所の会社で正社員として採用された。今年に入って、長男が小学校に入学したり3人の育児の大変さもつもり、家計もようやく落ち着いて来たということで6月から同じ職場でパートに切り替えて働いている。同時に、整骨院の仕事も少しずつ増やしている。

お金の為に働かなくてはならない状況から脱したならば、子供たちが小さい今だけの貴重な時期を、子供のそばで過ごしたい。そういう母性本能ともいえるような感情が今更ながらに湧いてきた。いや、そういう感情を感じる余裕がようやく出来たんだと思う。

会社を辞めようかな。

そう思った翌日、会社に行くと、部署異動のお話が出た。今まで私は経理事務的なことをしてきたが、英会話スキルを生かす仕事に異動するお話だ。色々なことを考えてしまって、肝心な「自分がどうしたいのか」っていう事がはっきりと分からない。

子供と過ごす時間を増やしたいな。と思っていた矢先に出てきたお話。英語を生かした仕事でキャリアが磨けるならいいな。とも思ってしまった。ゆらゆらゆら~~~

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第一期終了?

下積生活の第一期が終了し、第二段階の下積み生活に今突入している、そんな感じです。

第一期はとにかく、経済的に非常に厳しく更に私も子供を3人産みつつ仕事もフルタイムで続けて、稼ぐことに集中していた。

結婚して7年間の下積みを経て、8年目も半分以上過ぎた今やっと、私がフルタイムで働かなくても生活が出来る様になってきた。 

長男は1歳からずっと保育園生活だった。今、3人目の子供がもうすぐ1歳半、まだまだ現役子育て中である。初めて、母になる時間を増やすことが許される様になっていて、家のことももっとしっかりやりたいと思う。

 

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2DKのアパート

結婚して入居したのが、2DKのアパート。

夫が結婚前から借りて住んでいた所に私が転がり込む形だった。

駅からは徒歩8分程度、閑静な住宅街にそびえるたった4戸の住人を抱えるそのアパートは周りの立派な一軒家と同じサイズだった。

冬は北風が通り抜け、トイレは北極と呼ばれていた(入った途端に息が白い)。

夏は西日と熱気を十分にため込んでサウナのような蒸し風呂。

エアコンはついていたものの、実際スイッチを入れるとすぐにブレーカーが吹っ飛ぶので使えず。

そんな過酷な環境の中で長男は2歳3か月まで育つことに。

結婚して最初の3年間お世話になったあのアパート、今となってはいい思い出。

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不意な妊娠 その①

結婚した時点で、夫が柔道整復師の夜間専門学校に通う間の3年間は下積生活ということは決定していたので、私もその間は仕事を継続してバリバリと稼ぐつもりだった。

しかし、結婚して3か月後に妊娠発覚。

妊娠中は働くとしても、産後はどうしても数か月は働けない。

初めての妊娠でかなり動揺したのに、親も喜んでくれずさらに落ち込んだ。

生活の心配よりも、まず親になれる自信がない。当時25歳の私。 

でもやっぱり、子供は授かり物。エコーでピクピクと動いたり大きくなっていく姿を見ているうちにその生命力に感心し、前向きになっていった。

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結婚と同時に始まった修行生活

時々、ふと思う。どうしてあの時期に結婚したんだろう?

当時、私の結婚報告を受けた親友も不安がっていた。

「私なら、経済的に安定してから結婚するな」 率直に話してくれた子も居た。

私たちが結婚したのは夫が柔道整復師の専門学校(夜間で3年間)入学直前。結婚した翌月から、毎月夜間学校の費用(10万円/月)が発生する事や、夫がフルタイム働けない為夫の給料もそれなりということを、まだまだ青かった私は軽視し過ぎていた。お金は、最初の数年は私が大黒柱でバリバリと働けば何とかなるだろう。子供は3,4年後に産めたらいいな、そう思っていた。

所が、結婚後3回目の生理が来る事は無かった。妊娠を知ってから毎晩泣いた。私が働けなくなったらどうやって生活すればいいんだろう。こんな私が親になるのは早すぎる。一体、どうすればいいんだろう?

妊娠という予定外のハプニングにより、私が数年続けて働く計画は崩れ落ちた。さあどうする? 授かった命の息の根を止める選択肢は私にはなかった。1週間毎晩泣いた末、やるしかない!こうなったのは自分の責任だもの。どうにかなるさ! と奮い立った。とは言え、妊娠性ヒステリーで泣く事が非常に多い妊婦生活だった。満員電車に揺られながらお腹を必死に守る日々が続いた。

迷った挙句、務めている会社は一旦退職することにした。残業が多く、復帰した際に同じペースで仕事をする自信が無かったし、職場の事を常に気に掛けながら子育てをするのが嫌だったから。退職したわずか1か月後に長男が誕生した。それからは私の少ない貯金を少しずつ切り崩しながらの生活。夫は、日中の整骨院での仕事に加え、学校後に夜間訪問マッサージのバイトに出かけた。お金も少ない、夫の育児協力もない。そんな中で私は第一子の子育てをしたが、今振り返ると「毎日が濃密な赤ちゃんと私の日々」として記憶に残っている。

話がずれたが、結婚してから結局6年間、夫が夜間学校に通っていたのだ。そしてこの6年間ずっと、毎月10万円の学費を支払い、途中更に鍼灸の入学金200万円も新たに借り入れた。結婚当初は柔整のみ3年間という約束だったのが予定変更となり、鍼灸あんまマッサージも続けて3年間通うことになった。これについては当然何度も言い争いがあり、それについてはまた書こう。

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